2009年10月02日

琵琶湖の湖北の江戸時代の幕藩体制は複雑

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琵琶湖の湖北の江戸時代の幕藩体制は非常に複雑だったようです。

例えば現在の滋賀県高島市の範囲でも、金沢藩、伯方藩、堅田藩、

郡山藩、敦賀藩、朽木藩、小浜藩、大溝藩、直轄領が

あったそうです。


金沢藩は「まつ」さんが秀吉より化粧領として、今津町のあたりを

もらったようです。その後は金沢藩は京都へ行く途中にここで

宿泊したようです。

それにしても「まつ」さんは女性ながら大変な実力者で

あったのでしょうか。

秀吉も頭が上がらなかったかもしれませんね。


ところで、こんな狭い場所にこんなにも多くの藩があったのは

何故でしょうかね。

日本海から京都、大阪へ海産物等を運ぶ物流の要衝であったことが

その一つだと思われます。

その上に、軍事上も重要な位置を占めていたのでしょうか。

福井以北から京都や大阪を攻めるにはこの湖北の通行は

どうしても必要であったでしょう。

そしたら、いろいろな藩があったほうがよかったと思われます。





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posted by カナサト at 22:58 | Comment(0) | 琵琶湖岸の歴史の足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

信長、秀吉、家康はどこを通ったか?

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今日は、買い物のため国道303号線を通って、福井県上中町まで、
車で行った。この303号線は、かっての9里半街道沿いの国道です。9里半街道は小浜町から今津町までの間を通っていた街道です。
江戸時代には日本海沿岸諸国の産物や年貢米などが小浜に集荷されたのち、人や馬の背に乗せられて今津まで運ばれ、今津からは琵琶湖上を船で運んだのち、京都や大阪に運ばれたようです。
このような重要な街道ですから、江戸時代より前の戦国時代には、
物質輸送のみならず、軍事上も重要な街道であったことが想像される。信長や秀吉、家康も越前の朝倉氏攻めのときにこの街道を通り球磨川宿で泊まったそうです。数万の大軍は野宿とは言えあまり広いとこではないからどのようにしていたのでしょうか?
また、朝倉と浅井に挟み撃ちに会いそうになり急いで逃げたのも、
多分この街道を馬で走たことでしょう。そのご朽木を通り京都まで
逃げと思われる。
 今も物質輸送としては、トラック街道と言われるぐらいよく使われています。ただ、軍事上の輸送路にならないことを願っています。

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posted by カナサト at 23:02 | Comment(0) | 琵琶湖岸の歴史の足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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